元法学徒のブログ

公共政策を勉強している元法学部生です。法学・公共政策学に関する本の内容を投稿していきます。

カール・シュミット『独裁』と関連本

みなさん、こんにちは。

 

パスタの種類にはカッペリーニフェデリーニ、スパゲッティーニがありますよね。

どの種類が、どのパスタソースに合うのか理解できていないので、未だに美味しいパスタを作れたことがありません。

今度こそ麺とソースを適合させたいところです。

 

さて、今回ご紹介するのはカール・シュミット『独裁』です。

 

 

カール・シュミットの著作を日本語で読もうと思うと、やはり未来社のものが入手しやすいかと思います。

私自身、未来社の田中浩・原田武雄訳のものを読みました。

 

ちなみに価格は税抜き2800円です。

最近は本も値上がりしてますので、数年後には価格が異なっているかもしれません。

ですので、適宜ご確認なさることをおすすめします。

 

独裁についてきちんと考えようとすると、シュミットの『独裁』は避けて通れません。

独裁考察の必読書です。

本書は、独裁の歴史、独裁がどのように言及されてきたか、独裁の概念それ自体について扱っています。

 

ポイント

本書の真髄は独裁の分析にあると思います。

シュミットは独裁を「委任独裁」と「主権独裁」の2つに分類しています。

 

「委任独裁」は、国家の危機を除去する目的で、一定の期間、権力が特定の人物・機関に委ねられるというものです。

その名の通り委ねられた独裁です。国家の危機を除去できた際(例外状態の終了)には、委任独裁も終了となります。

例えば、ローマ共和制やワイマール憲法58条は委任独裁に該当すると思われます。

また、最近の事例ではCOVID-19に際してのハンガリー政権が委任独裁の形態に近しいと考えられます。

 

他方で、「主権独裁」は、既存の秩序を除去する目的で、憲法制定権力者が新しい秩序を創設するというものです。

例えば、革命が主権独裁と結びつきます。

本書でシュミットは、主権独裁の例としてフランス革命を分析しています。

 

独裁の定義や政治的意味を明らかにした点で、本書によるシュミットの貢献は大きいと思います。

独裁がそもそもは忌避されるものではなく、国家を救う伝家の宝刀であることを明らかにしたのです。

 

検討

ここからはシュミットの独裁論について検討を行いたいと思います。

シュミットの独裁論は果たして現代においても適用可能なのかという疑問が生じます。

 

現代においても「独裁」自体は必ずしも否定されていません。

例えば、いくつか国の憲法には緊急事態条項が設けられています。緊急事態条項の仕組みは、一定の範囲、期間に限定して権力を集中させると言うものです。

これはシュミットの言うところの委任独裁と重なります。

 

問題なのは、委任独裁の終了の仕組みが正常に作用するのかと言う点です。

シュミットが提示したローマの例では、委任独裁を行った高潔な人物が、その高潔さ故に目標が達成された段階で権限を通常に戻すことがなされていました。

 

しかし、現代において高潔な(委任)独裁者というものは期待できるのでしょうか。権力者が公明正大、高潔であるに越したことはありません。

ただ、これが理想にすぎないことは否定できないと思います(みなさん自身で具体例をイメージしていただける幸いです)。

そのため、制度的に独裁者たる権力者を制限することが必要になります。

例えば、議会や第三者委員会が、委任独裁の終了を決定するということです。

 

次に問題になるのは、終了権限を持つ議会や第三者委員会は、独裁者と適切な距離を保てるのか、ということです。

そもそも、委任独裁を受ける人物は時の与党から輩出されるはずです。

緊急事態条項を例にとれば、首相や大統領に権力が集中します。

一般的には、首相や大統領の所属政党は、議会の多数派と一致します。

 

そうすると、終了権限を握る議会の多数派に、同じ政党に所属している(委任)独裁者を引きずり下ろすことを期待できるでしょうか。

違う政党に所属している場合と比較すれば、適切に委任独裁が終了する確率は低いと思われます。

もっとも、党内の主導権争いで権力者が引き摺り下ろされることは当然あると思います。

 

また、第三者委員会についても同様です。

人数を公正にするのであれば、政党・会派の大きさに関わらず、各政党・会派が同数の委員を任命する方法が考えられます。

例えば、どの政党も2人ずつ委員を出すことができる、とするものです。

しかし、この方法では議席が少ない政党・会派の主張が相対的に大きくなることになります。

委員会において民意が適切に反映されているのか疑問です。

 

かといって、各政党・会派の大きさに合わせて委員数を割り当てれば、議会の多数派が委員会の主導権を握ります。

結局、議会が終了権限を握った場合と大差ありません。

 

結局のところ、シュミットの独裁論を実際に適用するのは困難なのではないでしょうか。

 

参考

ちなみに、シュミットの他にも独裁に言及している人はいくらかいます。

 

まず、シュミットと立場を対にするハンス・ケルゼンです。

ケルゼンはシュミットの主張する独裁の決定力を否定しています。

むしろ議会による妥協の政治を擁護します。

この点について論じた『民主主義の本質と価値』は、ケルゼンの著作の中では入手しやすいものです。

 

 

その他には同時代のヘルマン・ヘラーです。

邦訳としては風行社の今井ほか訳『国家学の危機』があります。

ケルゼンの主張が議会制の擁護にあるのに対して、ヘラーの主張は独裁の批判にあります。

 

 

独裁について考える上でヘラーの主張は非常に参考になります。

現在の政治について、ヘラーの主張を当てはめてみても、得るところは多いと思います。

なお、翻訳は書店で入手しづらいので、図書館で探すことをお薦めします。

 

最後にクリントン・ロシターの『立憲独裁』です。

この本は、シュミット、ケルゼン、ヘラーの時代と比べると、最近の独裁を分析したものとなっています。

 

 

この本では、ワイマール、フランス、イギリス、アメリカの立憲独裁の例が紹介されています。

立憲独裁とは、民主主義の枠組みを維持したまま、一時的に独裁を認めるものです。シュミットの委任独裁に一見すると近しい概念です。

委任独裁と立憲独裁の比較分析をするのも面白そうです。

 

例外状態の政治や民主主義を考察するために、独裁の研究がもっと深まることを期待しています。

それではまた今度。